常光院(埼玉県)
長承元年(1132)藤原鎌足十六代目の子孫である判官藤原常光公が、武蔵国司に任ぜられて下向し、当地に公文所を建て、土地の豪族白根氏の娘を娶り中條の地名を姓として土着、館を構えて政務に精励したが、保延3年(1137)5月1日病没された。遺骸は館の東に葬られ近年まで常光塚(権現山古墳)として残っていた。
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参拝日 2021年12月10日
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指定有形文化財の説明 |
常光院成り立ちの説明 |
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入口の門 |
門の拡大 |
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入り口通路の紅葉 |
茅葺の本堂 |